2010年03月20日

『ジゼル』2日目(ジルベール&エイマン)

パリ・オペ『ジゼル』、2日目の公演に行ってまいりました。今日は一番若いペア、ドロテ・ジルベールとマチアス・エイマンです。いや〜、若い2人に素敵な舞台を見せてもらいました。決して未熟という意味ではなく、とにかく若い、なんとも瑞々しい舞台。それは、ただフレッシュなだけの舞台ではなく、若い2人が目指す高みが見えるというか、その真剣で志の高い舞台姿は感動的ですらありました。


1幕のドロテは予想通りの可愛さでとてもよかったんですが、驚いたのは2幕です。健康的な彼女に2幕のジゼルはどうかな〜と思っていたんですが、1幕の元気な女の子と同一人物とは思えないほどの静を表現していました。

余談ですが、小出さんや水香さんのジゼル・デビューを見たときも、「予想外に2幕が良い」と思ったんですよね。なんだろう、若いダンサー、あるいは役デビューの『ジゼル』を見ていると、1幕の難しさを感じるような気がします。いや、もちろんどちらも難しいとは思うんですが、私が勝手に『ジゼル』は2幕が難しいと思い込んでいたのかもしれません。若いダンサーが若いジゼルを演じるのって、反って難しいのかもしれない。初日のルテステュにしろ、吉岡美佳さんや斎藤友佳理さんにしろ(いつも例えが東バですみません…)、年齢を重ねた踊り手のほうが、1幕のジゼルの幼さや無垢さを表現できているような気がするんです。逆に若いドロテや小出さんのジゼルのほうが、大人っぽ見えるという不思議。


で、ドロテですが、1幕では素直で初心なとても可愛い女の子。あの、真っ直ぐに育った感じの素直さがすごくよかった。彼女の元来の生き生きとした魅力が出ていて、身体の弱いという感じは控えめだったかも。

そして驚いた2幕。上でも書きましたが、1幕の元気な少女と同一人物とは思えないほど、静のジゼル。踊りはゆったりと柔らかで、人間的な温かさを残したウィリでした。何よりすごかったのは、足音が一切しなかったことです。両足で着地するときには、流石にストンと音がしていましたが、それ以外ではほとんど足音をさせていませんでした。足音がしないことが全てではないけど、あそこまで無音なのはすごい。舞台を無音で走る姿に、ゾクッとするほどでした。ウィリとなって最初に踊る場面でも、その生気のなさが人ならざる精霊の雰囲気を醸し出していてよかった。


そしてマチアス・エイマンですよ〜。なんてエレガントで柔らかい踊り! ちょっとした跳躍がいちいち高い(褒めてます)。滞空時間の長い跳躍は、スローモーションのようにゆっくりと下りてきます。着地ってこんなに時間かかったっけ〜と、真面目に思うほど。超連続のアントルシャシス(っていうのかな)も凄すぎました。美しい爪先は言うまでもなく、とにかくジャンプが高いんですよ〜。そんなに人ってふんわり高く跳べるのかっていうくらい、それこそトランポリンでも使ってるみたいに跳ぶんです。

高圧的な威厳まではないけれども、育ちが良いのは一目瞭然という1幕のエイマン。ジゼルのことはとても好きそう。若い2人の熱々ウットリな雰囲気に、やや照れくささを感じる私(笑)。若さと、ちょっと幼さを感じさせるアルブレヒトなだけに、その後の後悔がより痛々しい。浅はかだった自分の、あるいは若さゆえの過ちを唐突に見せ付けられたような痛々しさというか。倒れたジゼルの足元にしがみついて泣く様が印象的。


なんと言っても2人とも、2幕で目を見張るような踊りを見せてくれました。まったくポワントの音をさせないドロテ。緩やかで柔らかい踊りは、体重を感じさせません。ウィリとなって踊る場面や、連続のジュテで袖に消える場面など、力強い踊りでも決して「元気」とは違う、人ならざる空気を醸し出します。後ろ向きで下手に退場するときのパ・ド・ブレのスピードもすごかった。そして、エイマンの美しい爪先、柔らかな着地、全てにエレガントな踊り。跳躍は信じられないくらい高く、何度も会場から感嘆の声が漏れるほど。

ただ、私が彼らに感心したのは、その技術の高さではなく、技術の高さをも駆使して『ジゼル』の2幕の幻想性、精神性を表現しようとしていたことです。確かに彼らの踊りはすごかったし、それだけでも見る価値はあったかも。でも、それは決して技術の誇示ではなく、『ジゼル』という作品を表現するための、自分たちが目指す高みへ到達するための手段だったのだと思います。少なくとも私には、技術だけの誇示には映らなかったな〜、と。
posted by uno at 03:04| Comment(2) | バレエ公演2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする